常設展示  


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 1 県内遺跡出土品
 <旧石器時代〜江戸時代>
 2 アスファルト関連資料ほか
 3 漆関連資料(漆工用具ほか)
 4 漆関連資料(装飾品)
 5 青田遺跡(柱根)
 6 青田遺跡(壁材)
 7 東原町遺跡(古銭)
 8 上ノ平・吉ヶ沢遺跡(石器)【県指定】
 9 古代の役所関連資料
 10 木崎山遺跡(地鎮具)【県指定】
 11 虫川城跡(甕)
 12 北野遺跡(土器・石器)
 13 野地遺跡(墓坑)
 14 道下遺跡(石囲炉)
 


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1 県内出土品(旧石器〜江戸時代)
旧石器〜縄文時代の出土品 弥生〜古代の出土品 中世〜近世の出土品
<旧石器〜縄文時代の出土品> <弥生〜古代の出土品> <中世〜近世の出土品>
<縄文時代の呪い(まじない)の道具(土偶)> <弥生時代の玉作の道具> <中世の呪いの道具>
 
 このコーナーには、(財)新潟県埋蔵文化財調査事業団が新潟県内で発掘調査した遺跡の主な出土品を展示しています。旧石器時代から江戸時代までの土器や石器を時代別に概観することができます。
 特に土器は、時代・時期ごとに特色あるものを展示し、器の形や色・用途などについて一目でその変遷を知ることができるようになっています。また、壁には時代ごとに解説パネルが掲示してあるので、初めて来館された方でも各時代の特徴を学んでいただくことができます。
 さらに、その手前の覗きケースには、それぞれの時代を特徴づけるさまざまな道具や装飾品の数々を、用途ごとにまとめて展示しています。ぜひ、それぞれの時代に生きた人々の生活の息吹を感じ取ってみてください。

 〜展示品の出土遺跡〜
 ◆旧石器時代   :円山(まるやま)遺跡〈阿賀野市〉、上ノ平(うえのたいら)A・C遺跡〈阿賀町〉、 荒屋(あらや)遺跡〈川口町〉
 ◆縄文時代  
     草創期    :大堀(おおほり)遺跡〈妙高市〉、百塚西(ひゃくづかにし)C遺跡〈小千谷市〉
     早  期    :大堀遺跡〈妙高市〉
     前  期    :猿額(さるびたい)遺跡〈阿賀町〉、大武(だいぶ)遺跡〈長岡市〉、大角地(おがくち)遺跡〈糸魚川市〉
     中  期    :清水上(しみずのうえ)遺跡〈魚沼市〉、五丁歩(ごちょうぶ)遺跡〈南魚沼市〉
     後  期    :城之腰(じょうのこし)遺跡〈小千谷市〉、堂付(どうづけ)遺跡〈小千谷市〉、中ノ沢(なかのさわ)遺跡〈妙高市〉、
             松影(まつかげ)A遺跡〈新潟市〉、現明嶽(げんみょうだけ)遺跡〈阿賀町〉
     晩  期    :野地(やち)遺跡〈胎内市〉、青田(あおた)遺跡〈新発田市〉、道下(みちした)遺跡〈胎内市〉
 ◆弥生時代
     前  期    :中曽根(なかそね)遺跡〈村上市〉
    中  期    :大武(だいぶ)遺跡〈長岡市〉、
    後  期    :鶴巻田(つるまきだ)遺跡〈柏崎市〉、内越(うちこし)遺跡〈柏崎市〉、山三賀(やまさんが)U遺跡〈聖籠町〉、
             松影A遺跡〈新潟市〉
 ◆古墳時代
    前  期    :正尺(しょうじゃく)C遺跡〈新潟市〉、西川内南(にしかわうちみなみ)遺跡〈胎内市〉
    中  期    :金屋(かなや)遺跡〈南魚沼市〉、余川中道(よかわなかみち)遺跡〈南魚沼市〉
    後  期    :一之口東(いちのくちひがし)遺跡〈上越市〉、金屋遺跡〈南魚沼市〉、北沖東(きたおきひがし)遺跡〈南魚沼市〉、
             黒田古墳群(くろだこふんぐん)〈上越市〉
 ◆古   代
    奈  良    :栗原(くりはら)遺跡〈妙高市〉、山三賀U遺跡〈聖籠町〉、梯子谷窯跡(はしごだにようせき)〈出雲崎町〉
    平  安    :箕輪(みのわ)遺跡〈柏崎市〉、蔵ノ坪(くらのつぼ)遺跡〈胎内市〉、木崎山(きざきやま)遺跡〈上越市〉、
             一之口東遺跡〈上越市〉
 ◆中   世
    鎌倉〜戦国 :堀越館跡(ほりこしやかたあと)〈阿賀野市〉、木崎山遺跡〈上越市〉、寺前(てらまえ)遺跡〈出雲崎町〉
             浦廻(うらまわり)遺跡〈新潟市〉
 ◆近   世
    江  戸    :鍋屋町(なべやまち)遺跡(上越市) 
      


2 アスファルト関連資料ほか
 縄文時代、アスファルトは石器や骨角器を柄に装着する際の接着剤として使用されました。アスファルトは固形ですが、熱することで溶けて、接着剤としての機能を有すようになります。
 アスファルトの産地は石油産出地に限られます。新潟県は日本の数少ない産地の一つで、古代の文献にも越後から畿内へ、燃える水(石油)と燃える土(アスファルト)が献上されたとあります。
 アスファルトは貴重品であることから、大切に保存管理されたと考えられます。大坂上道(おおさかうえみち)遺跡の「アスファルトを保管した縄文後期の土器」(写真左上)や江添(えぞえ)遺跡の「布目圧痕の残るアスファルト塊」(写真左下)は、当時の様子を考える上で貴重な資料です。
<布圧痕の残るアスファルト塊>             <アスファルトを接着剤として使用した石鏃>      <組合せ斧> ほか


3 漆関連資料 漆工用具ほか
 縄文人は優れた漆工芸の技術を持っていました。新潟県内では、長岡市(旧和島村)の大武(だいぶ)遺跡、新発田市(旧加治川村)の青田(あおた)遺跡、胎内市(旧中条町)の野地(やち)遺跡、胎内市(旧黒川村)の分谷地(わけやち)遺跡などから、漆製品や漆工用具が出土しています。

◆「漆液容器(土器)」(写真左、青田遺跡ほか)
 赤色漆の調製に使用した土器です。この地域に漆の木と漆を使いこなす技術が存在したことを示す資料として貴重です。
◆「ベンガラ塊」(写真右、青田遺跡)
 発色の良好な微粉末状のベンガラ(赤色酸化鉄)が塊状に集合したもので、赤色漆を作る際に利用したと考えられます。
<漆工要具と赤色顔料塊>


4 漆関連資料 装飾品


<糸玉と装飾品(腕輪、竪櫛ほか)>
◆「糸玉」(写真左、青田遺跡)
 撚り合わせた糸にベンガラ漆を塗り、それを無数に束ねた上で結び目を作ったものです。漆の硬質性と糸の柔軟性を巧みに調和させています。
◆「腕輪」(写真中央左、青田遺跡)
 紐や糸などを駆使して本体骨格を作り、漆を塗ったものと考えられます。
◆「竪櫛」(たてぐし)(写真中央右、青田遺跡)
 独立した櫛歯材を糸、紐、横架材などで結束し、漆で整形・塗装したものです。なお、展示品は櫛歯部分が滅失しています。
◆「紐状装身具、漆を焼付け塗装した土器片、石匙」(写真右、大武遺跡)
 断片化した素材紐が塊の状態で出土しました。一緒に出土した土器片は、表面に漆を密着させる方法として、「焼き付け技法」が施されていることが確認できました。

 これらの出土品により、日本の代表的伝統工芸である漆加工技術の基礎が、縄文時代にすでに確立されていたことがわかります。


5 青田遺跡 縄文時代晩期の柱根(新発田市)
掘立柱建物の柱根

<掘立柱建物の柱根>
 青田遺跡は、平野部に立地した縄文時代晩期(今から約2,500年前)の集落跡です。紫雲寺潟(塩津潟)の湖底(標高0〜1.5m前後)から発見されました。(紫雲寺潟は、平安時代の地震で地盤が沈降したことにより発生したと考えられています。)遺跡は縄文時代の川跡の両岸に、南北200m以上にわたって広がっていました。
 掘立柱建物の柱根は、建築当時の柱位置を保っているものが多かったため、柱の位置と太さの関係から、具体的な建物の復元が可能になりました。また、柱根の樹種を調べた結果、クリ材を基本としながら、クヌギ・コナラ材を利用し、1軒の住居を同じ材で作る傾向が見えてきました。
 さらに柱根に使用されたクリ材の年輪を調べたところ、クリの木は初めから生長が良く(年輪幅が広い)、青田縄文人がクリの木に十分日光が当たるよう、下草を刈るなど、食料・建築材料になるクリの森に手を加えて管理をしていた可能性が出てきました。


6 青田遺跡 縄文時代晩期の壁材(新発田市)
草葺きの壁材

<草葺きの壁材>
 青田遺跡では、国内最古の出土例となる草葺きの壁材が出土しました。この資料により柱や梁などの骨格材以外の構造を明らかにすることができ、全国的にも貴重な発見となりました。
 青田遺跡の壁材は樹種同定の結果、縦材(未同定)と横材(ヤナギ属)の組み合わせに、笹類を葺いていることが分かり、割り板製作技術が、あまり発達していなかった縄文時代は、木組み壁に板ではなく、笹類を葺いて作る草壁が多かったことが明らかとなってきました。
 このほかにも様々な木製品や、トチ・クリなどの実の殻が大量に出土しており、縄文人の集落や生活の様子を知る上で貴重な資料を得ることができました。


7 東原町遺跡 中世の埋納銭(柏崎市)


<埋納銭と納められていた壺>
 東原町(ひがしはらまち)遺跡は国道8号柏崎バイパスの建設に伴い、平成15〜16年に発掘調査を行いました。その結果、近世、中世、古代の遺跡であることがわかりました。
 そのうち中世の遺構からは、10,674枚もの銭が珠洲焼(すずやき)の壺に納められ、土の中に埋められた状態で見つかりました。銭の大半は中国製で、紐を通して束にまとめられていました。その数は33本にのぼります。大量の銭を壺や甕などに納めて埋める風習は、中世後半に多く見られます。その理由は、財産として蓄える(備蓄銭とする)ためとか、その土地の神仏に捧げるためとかいわれています。東原町遺跡の埋納銭は、誰が、何のために埋めたのかは謎のままです。


県指定文化財
8 上ノ平・吉ヶ沢遺跡  旧石器時代(阿賀町) 
 
 
 上ノ平(うえのたいら)遺跡・吉ヶ沢(よしがさわ)遺跡は、阿賀野川(あがのがわ)左岸、沢を挟んで並んだ段丘上(だんきゅうじょう)にあります。
 発掘調査によって、旧石器(きゅうせっき)時代(今から1万5千〜2万年前)に槍先(やりさき)に用いたナイフ形石器や、木や動物の骨の加工に用いた彫刻刀形石器(ちょうこくとうがたせっき)が多量に出土しました。また、これらの石器を製作していたことも判明しました。
 石器は、まず原石(げんせき)を何度も打ち割って石器の素材となる石刃(せきじん)を採(と)り、この石刃を用途に合わせて、ナイフ形や彫刻刀形に加工します。二つの遺跡では、このようにナイフ形石器などを作っていましたが、石器の材料の入手方法に違いが認められました。
 上ノ平遺跡では、切れ味のよい良質な珪質頁岩(けいしつけつがん)を多く用いることが特徴です。遺跡周辺には見られないことから、遺跡から離れた地域から持ってきたと考えられます。また、石器を作る際に出る石屑(いしくず)がほとんど認められないことから、完成した石器や石器の素材となる石刃を産地で調達して、上ノ平遺跡に持ち込んだと推定されます。
 一方、吉ヶ沢遺跡では、多くの破片が接合された資料があることから、近くで入手できる頁岩の原石を持ち込み、遺跡内で石刃・ナイフ形石器・彫刻刀形石器などに加工していたと推定されます。
 このように、両遺跡から出土した石器は、そこに暮らしていた旧石器人の活動を物語っています。
 ナイフ形石器と彫刻刀形石器は、中部地方北半(長野県から富山県など)から東北地方の日本海側に分布する「杉久保石器群(すぎくぼせっきぐん)」に属し、その代表的な資料であることから、新潟県指定有形文化財考古資料(にいがたけんしていゆうけいぶんかざいこうこしりょう)に指定されました。
     
 <上ノ平・吉ヶ沢遺跡出土の石器>
 
<上ノ平遺跡出土の石器> 
   
             


9 官衙(役所)関連資料


<古代の官衙(役所)関連資料>
【展示されている資料】

◆蔵ノ坪(くらのつぼ)遺跡〈胎内市〉
   ・木簡(もっかん)、銅(どうか)、転用硯(てんようけん)、墨書土器(ぼくしょどき)「津」  
◆箕輪(みのわ)遺跡〈柏崎市〉
   ・黒漆塗壺鐙(くろうるしぬりつぼあぶみ)、木簡、銅、墨書土器「王」・「上殿」
◆八幡林(はちまんばやし)遺跡〈長岡市〉
   ・木簡(※複製、実物は長岡市が収蔵【県指定文化財】)
◆牛道(うしみち)遺跡〈新潟市〉
   ・墨書土器 「(てん)
◆栗原(くりはら遺跡〈妙高市〉
   ・墨書土器「郡」・「柴原偕伎日(しばはらのはしきび)
◆木崎山(きざきやま)遺跡〈上越市〉
   ・墨書土器
◆滝寺古窯跡郡(たきでらこようせきぐん)〈上越市〉
   ・円面硯(えんめんけん)
<古代の政治の仕組み>
 奈良時代は、天皇を中心とした大和王権が「律」(刑罰のきまり)・「令」(政治のきまり)という法律に基づいて、全国を統一的に支配する制度がつくられており、現在の新潟県に相当する「佐渡国」(さどのくに)・「越後国」(えちごのくに)も律令体制の中に組み込まれていました。
 大和王権は律令体制を全国に徹底させるため、地方の行政制度を整えるとともに、政令の伝達や政府への行政報告を速やかに行うため、交通制度の整備にも力を入れました。
 地方は国・郡・里(のちに郷)に分けられ、国には都から国司が派遣され、郡司(郡の長、地方の豪族が任命された)や里長(里の長)を監督しました。また、国・郡には国府(現在の県庁にあたる)・郡家(ぐうけ)(現在の市町村役場にあたる)と呼ばれる役所を設置し、役人を置いて文書と印による政治を行うようになりました。紙が貴重品であった奈良・平安時代、役所では薄い木の板に墨で文字を書いた「木簡(もっかん)」を文書や荷札として使用しました。
 交通網の整備は、政府の置かれた大和を起点として、京と諸国の国府を結ぶ7つの幹線道路(北陸道・東山道・東海道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)を中心に進められました。幹線道路には30里(約16q)ごとに「駅」を設け、京と地方を往復する使者に馬や食糧、宿を提供しました。
 紙に書かれた文字資料が少ない奈良・平安時代は、木簡や墨書土器に書かれた文字を通して、当時の社会を知ることができるのです。
             


県指定文化財
10 木崎山遺跡 〜古代・中世〜(上越市柿崎区)


<木崎山遺跡出土の地鎮具ほか>
 木崎山(きざきやま)遺跡は、高田平野の北端に近い砂丘上に立地しています。発掘調査は北陸自動車道の建設に伴い、昭和54・55年に実施しました。
 調査の結果、古代・中世を中心として、縄文時代〜近世までの遺構・遺物が検出されました。「木崎城跡」とも呼ばれ、上杉謙信の家臣、柿崎氏の居館(きょかん)とされてきましたが、発掘調査によってそれを証明することはできませんでした。
 出土品の中で最も注目されるのは、鎌倉時代の地鎮具(法具)と陶器です。五鈷鈴(ごこれい)を除く10点の地鎮具は、瀬戸焼の壺に納められ、直径40cmほどの穴に埋められていました。これらの地鎮具は、壺の頸部を破損することなくはずして壺に納められました。その後、壺の頸部を漆で接着したものとみられます。地鎮具を納めた壺は、掘立柱建物の北東隅付近に埋められていたことから、当時の人々が建物を建設する際、土地の神様を鎮めるために埋めたものと推測されています。

 木崎山遺跡の出土品(12点)は、昭和59年3月に新潟県指定文化財(有形文化財考古資料)に指定されました。
             




11 虫川城跡 室町時代(上越市浦河原区)
虫川城跡出土の甕棺 <虫川城跡4号墓壙(ぼこう)出土 甕棺(かめかん)
 虫川城(むしかわじょう)は、室町時代後期に築城されたと言われ、今でも土塁や門跡が残っている戦国期の典型的な山城です。 伝説によれば、直峰城(のうみねじょう)主 風間信濃守信昭の家老 杢田主膳の居城と言われています。
 発掘調査は北越北線(「ほくほく線」)の建設に伴い、昭和61年に行われました。その際、虫川城跡の一部と見られる帯郭(おびぐるわ)や墓壙が発見されています。発見された墓壙のうち、4号墓壙には遺骸を納めた珠洲焼きの大甕(甕棺)が埋められていました。この甕棺の中から人の歯が16点見つかり、30〜40歳代の人が葬られていたことがわかりました。

<虫川城跡出土の甕棺>
             


12 北野遺跡 縄文・平安・中世・近世(阿賀町)
<出土した土器> <下層から出土した道具類> <上層から出土した道具類>
 
 北野(きたの)遺跡は、福島県境に程近い東蒲原郡阿賀町(旧上川村)を流れる阿賀野川の支流、常浪川(とこなみがわ)左岸の段丘上に位置します。磐越自動車道の建設に伴い、平成5〜7年に発掘調査しました。その結果、約5,000年前に堆積した沼沢火山灰層をはさんで、上下の層から遺構や遺物が見つかりました。
 下層は縄文時代早期前葉〜前期末葉の遺跡で、半埋没状の竪穴住居10数軒がほぼ完全な形で検出されました。また、竪穴を掘り込んだときに出た土が周囲に盛られていたことも分かりました。他には広場やゴミ捨て場とみられるか所や、焚き火の跡などが見つかっています。
 上層では、縄文時代中期前葉〜後期・晩期、平安時代、中世、近世といった複数の時代・時期の遺跡を確認することができました。主な遺構は縄文時代中・後期の住居63基、土坑(どこう)(直径約1m前後の穴)330基、埋甕(うめがめ)132基などです。埋甕は、地面に穴を掘って埋めたもので、北野遺跡では、居住域と考えられる範囲でたくさん見つかりました。この甕を観察したところ、外面には煤(すす)、内面にはおこげが付着しており、日常生活に用いたものを再利用したことがわかりました。埋甕は、その中に胎盤を納めたり幼児の遺体を埋葬したものと考えられます。しかし、調査時は中からは土以外何も出てきませんでした。そこで、その土を科学分析したところ、リン酸やカルシウムが多く含まれていることが分かり、土器の中に遺体を納めた可能性が高いと判断されました。
 北野遺跡は、縄文時代に少なくとも4回、同じ場所で集落が営まれたことが明らかになっています。大量に出土した遺物などから考えても、この地方における縄文時代の大集落の一つだったと言えます。北野遺跡は当時期の人々の暮らしぶりや他地方との交流などを調べる上で重要な遺跡と言えます。



13 野地遺跡 縄文時代後期中葉〜晩期中葉(胎内市)
 野地(やち)遺跡は、胎内川(たいないがわ)の右岸に形成された自然堤防の後背地(こうはいち)に立地しています。日本海東北自動車道の建設に伴い、平成17年度に発掘調査を実施しました。
 調査の結果、縄文時代後期中葉〜晩期中葉にわたって継続した重層遺跡であることがわかりました。検出した遺構には、掘立柱建物、平地住居、竪穴状遺構、土坑、墓坑などがあります。遺物では、石器、石製品、土器、堅果類などが出土しています。
 展示している墓坑は、実際に発掘した墓坑に展示や保存のための処理を施したものです。この墓坑からは、大人の屈葬(くっそう)人骨が出土しており、人骨の周辺からは歯やヒスイ製丸玉が見つかっています。
<野地遺跡出土の墓坑>
             



14 道下遺跡 縄文時代晩期前葉(胎内市)
 道下(みちした)遺跡は、胎内川が形成した扇状地の扇端部付近に位置しています。日本海東北自動車道の建設に伴い、生成17年度に発掘調査を実施しました。
 調査の結果、縄文時代晩期前葉の集落跡であることが分かりました。検出した遺構には、竪穴住居、土坑、埋設土器、石囲炉(いしがこいろ)などがあります。出土した遺物には、土器や石器があり、土器には復元できたものが多数あります。
 展示している石囲炉は、竪穴住居の中央に設けられた直径約60cmのものです。炉の中心部には、底部付近の土器片が据えられていました。炉の周囲約80cm四方を柱状に掘り下げ、展示や保存のための処理を施しました。
<道下遺跡出土の石囲炉>
             


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