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青田(あおた)遺跡は、平野部に立地した縄文時代晩期(今から約2500年前)の集落跡です。紫雲寺潟(塩津潟)の湖底(標高0〜1.5m前後)から発見されました。(紫雲寺潟は、平安時代の地震で地盤が沈降したことにより発生した、と考えられています。)
遺跡からは幅40m、深さ3mを超える川跡が見つかり、集落は川の両岸に営まれていたことが分かりました。南北200m以上に広がる大きな集落でした。木柱根の残る掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、草敷土坑(くさじきどこう)、草葺きの壁材などが検出されました。草葺きの壁材は、国内最古の出土例です。このほか様々な木製品や、トチ・クリなどの実の殻が大量に出土しており、縄文人の集落や生活の様子を知る上で貴重な資料を得ることができました。 |
| <出土した縄文土器> |
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掘立柱建物の柱根は、建築当時の柱位置を保っているものが多かったため、柱の位置と太さの関係から、具体的な建物の復元が可能になりました。また、柱根の樹種を調べた結果、クリ材を基本としながら、クヌギ・コナラ材を利用し、1軒の住居を同じ材で作る傾向が見えてきました。
さらに柱根に使用されたクリ材の年輪を調べたところ、クリの木は初めから生長が良く(年輪幅が広い)、青田縄文人がクリの木に十分日光が当たるよう、下草を刈るなど、食料・建築材料になるクリの森に手を加えて管理をしていた可能性が出てきました。
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| <掘立柱建物の柱根> |
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壁材の出土は、柱や梁など骨格材以外の構造を明らかにする、全国的にも貴重な発見となりました。青田遺跡の壁材は樹種同定の結果、縦材(未同定)と横材(ヤナギ属)の組み合わせに、笹類を葺いていることが分かり、割り板製作技術が、あまり発達していなかった縄文時代は、木組み壁に板ではなく、笹類を葺いて作る草壁が多かったことが明らかとなってきました。 |
| <草葺きの壁材> |
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