常設展示  


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展示室
 1 県内出土品
 (旧石器時代〜江戸時代)
 2 青田遺跡
  五丁歩遺跡(県指定)
 4 古代出土文字資料
  木崎山遺跡(県指定)
  虫川城跡
  北野遺跡
 
常設展示


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県内出土品(旧石器時代〜江戸時代
旧石器〜縄文時代の出土品 弥生〜古代の出土品 中世〜近世の出土品
<旧石器〜縄文時代の出土品> <弥生〜古代の出土品> <中世〜近世の出土品>
 
 このコーナーでは、新潟県内の遺跡で発掘された主な出土品を時代別に概観することができます。
 特に土器については、時代ごとに特色あるものを展示し、器の形や色・用途などについて一目でその変遷を知ることができるようになっています。また、壁には時代ごとに説明パネルを展示し、初めて来館された方にも分かりやすく、各時代の特徴を学んでいただくことができます。


 〜展示品の出土遺跡〜
 ◆旧石器時代 :円山(まるやま)遺跡(阿賀野市)、上ノ平遺跡(阿賀町)
 ◆縄文時代  
     草創期   :大堀(おおほり)遺跡(妙高市)、百塚(ひゃくづか)西C遺跡(小千谷市)
     早  期   :大堀遺跡(妙高市)
     前  期   :猿額(さるびたい)遺跡(阿賀町)、大武(だいぶ)遺跡(長岡市)
     中  期   :清水上(しみずのうえ)遺跡(魚沼市)、五丁歩(ごちょうぶ)遺跡(南魚沼市)
     後  期   :城之腰(じょうのこし)遺跡(小千谷市)、堂付(どうづけ)遺跡(小千谷市)、中ノ沢遺跡(妙高市)
     晩  期   :和泉(いずみ)A遺跡(上越市)、籠峰(かごみね)遺跡(上越市)、野地(やち)遺跡(胎内市)
 ◆弥生時代
     前  期   :和泉A遺跡(上越市)、大塚遺跡(糸魚川市)
    中  期   :下谷地(しもやち)遺跡(柏崎市)
    後  期   :鶴巻田(つるまきだ)遺跡(柏崎市)、内越(うちこし)遺跡(柏崎市)、山三賀(やまさんが)U遺跡(聖籠町)
 ◆古墳時代
    前  期   :正尺(しょうじゃく)C遺跡(新潟市)
    中  期   :金屋遺跡(南魚沼市)
    後  期   :一之口東遺跡(上越市)、金屋遺跡(南魚沼市)
 ◆古 代
    奈  良   :栗原遺跡(妙高市)、山三賀U遺跡(聖籠町)
    平  安   :蓑輪(みのわ)遺跡(柏崎市)、蔵ノ坪(くらのつぼ)遺跡(胎内市)
 ◆中 世
    鎌倉〜戦国:堀越館跡(ほりこしやかたあと)(阿賀野市)、木崎山遺跡(上越市)
 ◆近 世
   江  戸   :鍋屋町(なべやまち)遺跡(上越市) 



      



青田遺跡〜縄文時代晩期〜青田遺跡〜縄文時代晩期〜
漆製品と赤色顔料塊 糸玉と装飾品 石製品と樹皮製容器
<漆製品と赤色顔料塊> <糸玉と装飾品> <石製品と樹皮製容器>
出土した縄文土器
 青田(あおた)遺跡は、平野部に立地した縄文時代晩期(今から約2500年前)の集落跡です。紫雲寺潟(塩津潟)の湖底(標高0〜1.5m前後)から発見されました。(紫雲寺潟は、平安時代の地震で地盤が沈降したことにより発生した、と考えられています。)
 遺跡からは幅40m、深さ3mを超える川跡が見つかり、集落は川の両岸に営まれていたことが分かりました。南北200m以上に広がる大きな集落でした。木柱根の残る掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、草敷土坑(くさじきどこう)、草葺きの壁材などが検出されました。草葺きの壁材は、国内最古の出土例です。このほか様々な木製品や、トチ・クリなどの実の殻が大量に出土しており、縄文人の集落や生活の様子を知る上で貴重な資料を得ることができました。
<出土した縄文土器>
掘立柱建物の柱根
 掘立柱建物の柱根は、建築当時の柱位置を保っているものが多かったため、柱の位置と太さの関係から、具体的な建物の復元が可能になりました。また、柱根の樹種を調べた結果、クリ材を基本としながら、クヌギ・コナラ材を利用し、1軒の住居を同じ材で作る傾向が見えてきました。
 さらに柱根に使用されたクリ材の年輪を調べたところ、クリの木は初めから生長が良く(年輪幅が広い)、青田縄文人がクリの木に十分日光が当たるよう、下草を刈るなど、食料・建築材料になるクリの森に手を加えて管理をしていた可能性が出てきました。
<掘立柱建物の柱根>
草葺きの壁材  
 壁材の出土は、柱や梁など骨格材以外の構造を明らかにする、全国的にも貴重な発見となりました。青田遺跡の壁材は樹種同定の結果、縦材(未同定)と横材(ヤナギ属)の組み合わせに、笹類を葺いていることが分かり、割り板製作技術が、あまり発達していなかった縄文時代は、木組み壁に板ではなく、笹類を葺いて作る草壁が多かったことが明らかとなってきました。
<草葺きの壁材>
      




県指定文化財
 五丁歩遺跡〜縄文時代中期〜五丁歩遺跡〜縄文時代中期


五丁歩遺跡の出土品
<五丁歩遺跡の出土品>
 五丁歩(ごちょうぶ)遺跡は、湯沢方面から北流する魚野側の右岸、飯士(いいじ)山麓に広がる火砕流によってできた台地緩斜面の先端部に位置しています。
 高速道路建設に伴う発掘調査の結果、縄文時代中期前葉(今からおよそ5200年前)の集落遺跡が発見され、外縁径約60mにおよぶ環状集落の構造が明らかとなりました。中央広場のまわりに墓と見られる土坑がつくられ、それを住居群が取り囲み、さらに貯蔵穴群がその外縁部につくられています。広場や土坑の周辺から大きな自然石が多く出土していることから、集落内側に自然石を用いた施設のあった可能性が高いと考えられます。また、住居跡は地面を掘り込んだ竪穴住居跡であり、略円形のものと浅くて長方形のものと2つのタイプがあります。
 遺物は土器・石器がともに平箱で約400箱と多量に出土しました。土器の文様は独特で、信濃川流域よりも群馬県や長野県の遺跡の土器に類似したものが多いことから、当時の交流をうかがうことができます。生業のために使用した石器も、板状石器(ばんじょうせっき)や片刃打製石斧(かたばだせいせきふ)が大量に出土するなど、特徴的な様子が見られます。
 五丁歩遺跡の出土品(1394点)は平成13年3月に新潟県指定文化財(有形文化財 考古資料)に指定されました。
             



出土文字資料が語る越後の古代
古代の文字資料
<古代の文字資料>
【展示されている古代の資料】

◆蔵ノ坪(くらのつぼ)遺跡(胎内市)出土品
   ・木簡、銅(どうか)、転用硯(てんようけん)、墨書土器(ぼくしょどき)「津」  
◆箕輪(みのわ)遺跡(柏崎)出土品
   ・黒漆塗壺鐙(くろうるしぬりつぼあぶみ)、木簡、銅、墨書土器「王」・「上殿」
◆八幡林(はちまんばやし)遺跡(長岡市)
   ・木簡  
◆牛道(うしみち)遺跡(新潟市)
   ・墨書土器 「(てん)
◆栗原(くりはら)遺跡(妙高市)
   ・墨書土器「郡」・「柴原偕伎日(しばはらのはしきび)
◆木崎山(きざきやま)遺跡(上越市)
   ・墨書土器

<古代の政治の仕組み>
 奈良時代は、天皇を中心とした大和王権が「律」(刑罰のきまり)・「令」(政治のきまり)という法律に基づいて、全国を統一的に支配する制度がつくられており、現在の新潟県に相当する「佐渡国」(さどのくに)・「越後国」(えちごのくに)も律令体制の中に組み込まれていました。
 大和王権は律令体制を全国に徹底させるため、地方の行政制度を整えるとともに、政令の伝達や政府への行政報告を速やかに行うため、交通制度の整備にも力を入れました。
 地方は国(こく)・郡(ぐん)・里(り)(のちに郷)に分けられ、国には都から国司が派遣され、郡司(郡の長、地方の豪族が任命された)や里長(里の長)を監督しました。また、国・郡には国府(現在の県庁にあたる)・郡家(ぐうけ)(現在の市町村役場にあたる)と呼ばれる役所を設置し、役人を置いて文書と印による政治を行うようになりました。紙が貴重品であった奈良・平安時代、役所では薄い木の板に墨で文字を書いた「木簡(もっかん)」を文書や荷札として使用しました。
 交通網の整備は、政府の置かれた大和を起点として、京と諸国の国府を結ぶ7つの幹線道路(北陸道・東山道・東海道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)を中心に進められました。幹線道路には30里(約16q)ごとに「駅」を設け、京と地方を往復する使者に馬や食糧、宿を提供しました。
 紙に書かれた文字資料が少ない奈良・平安時代は、木簡や墨書土器に書かれた文字を通して、当時の社会を知ることができるのです。
             



県指定文化財
 木崎山遺跡〜鎌倉時代〜木崎山遺跡〜鎌倉時代〜


木崎山遺跡の出土品
<木崎山遺跡の出土品>
<木崎山遺跡出土の地鎮具>
 展示されている資料は、上越市柿崎区の独立した砂丘上にある木崎山遺跡から出土したものです。40pくらいの方形の土坑に小瀬戸四耳壺(こせとしじこ)が直立して埋められ、仏具の花瓶(けびょう)・飯食器(おんじき)・六器(ろっき)が四耳壺の中におさめられていました。四耳壺は頸部を割って花瓶などをおさめたあと、漆で再び接合されていたものです。五鈷鈴(ごこれい)は四耳壺のすぐそばから出土しました。これらは鎌倉時代中期のもので、仏具は密教の儀式に使われる道具の一部です。出土状態から、一緒に発見された建物跡の地鎮(その土地の神様を鎮めること)のために埋められたものと考えられます。
 木崎山遺跡出土の地鎮具(10点)は昭和59年3月に新潟県指定文化財(有形文化財 考古資料)に指定されています。
 木崎山遺跡の出土品については、埋蔵文化財センターの管理を委託している(財)新潟県埋蔵文化財調査事業団のホームページでも紹介しています。(ご覧になりたい方はこちら

             




虫川城跡〜室町時代〜虫川城跡〜室町時代〜
虫川城跡出土の甕棺
<虫川城跡出土の甕棺>
<虫川城跡4号墓壙(ぼこう)出土 甕棺(かめかん)
  虫川城は、室町時代後期に築城されたと言われ、今でも土塁や門跡が残っている戦国期の典型的な山城です。 伝説によれば、直峰城主風間信濃守信昭の家老杢田主膳の居城と言われています。
 北越北線の建設に伴い、昭和61年に発掘調査が行われました。その際、虫川城跡の一部と見られる帯郭(おびぐるわ)や墓壙が発見されています。これらの墓壙のうち、4号墓壙には遺骸を納めた珠洲焼きの大甕(甕棺)が埋葬されており、この中から出土した16点の歯から年齢30〜40歳の人が葬られていたことが明らかになりました。

             



北野遺跡〜縄文・平安・中世・近世〜北野遺跡〜縄文・平安・中世・近世
下層から出土した道具類 上層から出土した道具類
<出土した土器> <下層から出土した道具類> <上層から出土した道具類>
 
 北野遺跡は、福島県境に程近い東蒲原郡の阿賀町(旧上川村)にあり、磐越自動車道の建設に伴い、平成5〜7年に発掘調査をしました。遺跡は阿賀野川の支流、常浪川(とこなみがわ)左岸の段丘にあります。
 発掘調査の結果、約5000年前に堆積した沼沢火山灰層をはさんで、上下の層から遺構や遺物が見つかりました。
 下層は、縄文時代早期前葉〜前期末葉に渡り、10数軒の半埋没状態の竪穴住居跡をほぼ完全な形で検出しました。また、住居跡を掘り込んだときに出た土が周囲に盛られていたことも分かりました。他にも広場やゴミ捨て場とみられるか所や、焚き火の跡などが見つかっています。
 上層は、縄文時代中期前葉〜後期・晩期、平安時代、中世、近世の多時期に渡ります。主な遺構は縄文時代中・後期の住居63基、土坑(どこう)(直径約1m前後の穴)330基、埋甕(うめがめ)132基などです。埋甕は、地面に穴を掘り土器を入れた施設で、土器の外面には煤(すす)、内面にはおこげの付着があり、日常生活に用いたものを再利用しています。北野遺跡では、この埋甕の多くが居住域と考えられる範囲にありました。従来埋甕には、胎盤の埋納や幼児の埋葬施設という説などがありますが、調査時には、土器の中から土以外何も出てきませんでした。そこで甕の中の土を科学分析したところ、リン酸やカルシウムが多く含まれていることが分かり、土器の中に遺体を埋納した可能性が高いと判断されました。
 北野遺跡では、少なくとも縄文時代に4回、同じ場所で集落が営まれていたことが分かっています。大量に出土した遺物などから考えても、この地方における縄文時代の大集落の一つであり、当時期の人々の暮らしぶりや他地方との交流などを調べる上で重要な遺跡となっています。
     


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